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クラスのレベル設定

クラスのレベル設定です。「わからないレベル」というのは、各人各様ですので、レベル分けも細かなほうがいいでしょう。科目によって、何段階に分かれているのかを、比較対照する必要があります。最後に、それらのクラスのレベルを、受講し始めてから、変えられるかどうかも、重要なチェックポイントです。たしかに、クラスをコロコロ変えるのは、集中力の欠如にもつながるでしょう。いまのレベルに合わせて、自分で努力する必要もあります。レベルが高すぎたら、予習、復習に何倍もの時間をかける。逆に、自分にとって、簡単すぎるようだったら、講師との関係を密にして、ハイレベルな課題を別に出してもらう。しかし、授業の予習復習よりも、そうした努力のほうが主になるようなら、クラス自体の意味がありませんので、やはり、レベル変更したほうがいいでしょう。それが柔軟に変更可能かどうか、チエ。クしておく必要があるのです。

テストの点数を発表

塾では、テストの点数を発表したり、偏差値の数字を競わせるようなことは、堅く禁じていた。勉強はテストの点数をとるためにするのではない。また、1番になるためにやるのでもないことを、親にも子にも、そして講師にもよく言っている。良い成績をとったからといって表彰したりしないし、まして文房具や辞書などの物やお金を与えることもしなかった。塾によっては、テストの成績を発表し、1番になると何かを与えるシステムをとっているところがある。もっとひどいところになると、「この灘中学の算数の問題が解けたら百円あげるぞ」と言って、お金で釣るところもあると聞く。親の方でも、中学に合格したら自転車を買ってあげよう、××高校に入ったらバイクをプレゼントしてやろう、△△大学にストレートで行けたら自動車かな、などと考えている人もいるに違いない。日常のテストで満点をとってきたら、その月のおこづかいがアップした、といったようなことも、よくある話だ。はたしてこのようなやり方で子どもの成績が伸び、合格してからも勉強を続けるような、社会の役に立つ人間になるのであろうか。

勉強への「トラウマ」が危険

一九六四年から六五年あたりに、戦後のベビーブーマーたちが大学に殺到しはじめました。この時期には、もはや貧乏で大学、少なくとも国立大学にいけないというのではなく、競争相手が多くて難関だから希望の大学に入れないことになりました。勉強の必要性が常識化したといっていいでしょう。激しい受験競争の中で勝った人と負けた人がはっきりでてきてしまいます。勝った人は問題ないでしょう。国立なら東大や京大、私立なら早稲田や慶應、あるいはコースなら医学部など、いわば勝ち組は勉強はやればできるものと素直に考えられるでしょうし、仮に、そのときの勉強がつらいと感じていれば、自分の子どもはしかるべき大学の付属に入れようと考えるかもしれません。いずれにしても、勉強に対する錯綜・屈折したコンプレックスは抱かないはずです。問題は、負けた場合です。それらの人の中には、勉強は素質ではないかと思う人が増えてもおかしくありません。自分の努力や勉強のやり方に問題があると思うより、人間として、あるいは生物的な素質の優劣があると思い込んでしまうのです。しかも、実際には負け組のほうが圧倒的に多いのです。希望した大学にいけなかった、という思いが勉強に対する恐れや劣等感をともなって、一種の「トラウマ」(心の傷)のようになって心に残り、その後の行動やものの考え方に影響を与えるわけです。これは、勉強そのものに対する拒否反応を本人に植え付けることもあり、社会人になって以後も、マイナスの影響を与えかねません。


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